辞書一覧

  • 法律用語辞典
  • アドバンスト フェイバリット 英和辞典
  • 最新 全訳古語辞典
  • 法律用語辞典
  • アドバンスト フェイバリット 英和辞典

検索結果一覧

6079件Hitしました

1221から10件/6079件中

大桑原村[関東地方]
角川日本地名大辞典

(近世)江戸期〜明治9年の村名。甘楽(かんら)郡のうち。星川に注ぐ桑原川の流域に位置する。はじめ小幡藩領,元和2年から七日市藩領。村高は,「寛文郷帳」で404石うち田方244石余・畑方159石余,「元禄郷帳」も同高,「天保郷帳」524石余,「旧高旧領」も同高。また天明3年の御領分石高田畑納辻併人別高(保坂家文書)による反別と年貢の内訳は,田12町余で米298俵,畑34町余で金60両余,ほかに大豆代1分939文,2口合計で61両余,藪8反余・山23町余で金7両余,ほかに定納分銭700文などとある。なお高の内訳は,天保3年の七日市領郷村高帳(同前)で,高524石余,うち404石拝領高,69石余打出,50石余改出新田となっている。天保11年の七日市領御取稼御家法之記録(大里家文書)で大桑原村・須山村合計で家数72うち寺1(桑延寺)・山伏1・庵1(教誉坊),人数404うち男212・女192,馬36とある。この須山村は字東山の小名の須山にあたり,ほかの史料にも「須山村」が大桑原村と併記される例があり,須山はある程度の独立性を持っていたと考えられる。幕末の改革組合村高帳では,安中(あんなか)宿寄場組合に属し,高454石余,家数67とある。大桑原村は中山道安中宿の助郷村になっていて,明和2年の安中宿助郷人馬割付覚帳(安中宿本陣文書)によると,人足は寄高750人,割付883人で差引133人未進,馬数は寄高423疋,割付405疋で差引18疋過,これを人足分に計算し直して36人,差引人足97人未進とある。また弘化3年1年間の助郷人馬触高写帳(同前)では,大桑原村分を大桑村と須山村に分け,大桑村勤高280石・人足307・馬313,須山村勤高124石・人足162・馬172となっている。安政5年広幡大納言の妹通行の際の定助郷19か村・当分助郷15か村の割賦帳では,大桑村全体で人足17・馬4,うち本村分が人足11・馬3,須山分が人足6・馬1となっている。神社は,字諏訪平に境内末社阿夫利神社・八坂神社・疱瘡社を持つ諏訪神社,字上ノ手に熊野神社があったが,明治44年藤木字小浜の白山神社に合祀され,西小野神社と改称した。なお須山には大師堂があり,弘法大師を祀る。天保8年在銘のほか多くの大師像があり,1週間にわたる土用念仏でにぎわった。明治4年七日市県,群馬県を経て,同6年熊谷県に所属。明治初年まで佐藤氏の寺子屋があり,大桑原・小桑原・藤木村の子弟数十名に習字を教授していた。明治7年藤木・大桑原・小桑原3か村の共立で星川学校を設立,藤木村の普門寺で教授した。同9年桑原村と改称。