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明治22年〜昭和30年の西津軽郡の自治体名。中村・浜横沢・長平・芦萢の4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。村役場を中村に設置。明治24年の戸数282・人口1,925,学校3(徴発物件一覧)。大正4年の戸数385・人口2,646。総戸数のうち農業358・商業7・工業3・日雇労働者17。陸運用具として馬橇38・馬車13・中小車1・自転車8があった。産業としては農業が中心であり,343戸が専業では兼業は15。また同年12月31日現在では,耕作戸数は406となっており,自作戸数195(面積は田方8町2反余・畑方1町8反余),自小作戸数90(面積は田方16町余・畑方1町3反余),小作戸数121(面積は田方4町6反余・畑方1町5反余)。同年の米の作付面積27町8反余,収穫量5,583石,1反歩あたり1石余の収穫となっている。その他同年の雑穀生産は大豆100石・小豆12石・粟2石・蕎麦183石・馬鈴薯4万60貫・漬菜1,750貫・菜種20石・キュウリ600貫。果実類では,リンゴは7町4反余で1,320本が育てられ2万6,400斤を収穫している。その他の果実の作付面積・本数・収穫高は,日本梨20反・625本・1,800貫,西洋梨6反・520本・4,000貫,ブドウ1反余・30本・30貫。養蚕は,春蚕飼養農業家52戸・数量2万411合,夏秋蚕飼養農家3戸・数量735合,梨園3万3反余・3万3,325本。農業における畜力利用では,田方17町5反余を馬耕,田方11町3反余・畑方4町6反余を人力,津軽と呼ばれる犂140で耕起する。養鶏は100戸・300羽,生卵1万7,895個を販売した。工業では桶職1・鍛冶職1・炭焼182・箕作1があり,藁工品として縄3万8,850束を370戸で産した。商業では小売店10・行商人11があるほか,貸金業者10,牛馬商3がある。同年の出稼人員は89人,いずれも漁師で北海道32・樺太53・カムチャッカ4となっている(西津軽郡統計書)。大正9年の世帯数423・人口2,509,うち職業別人口内訳は,農業2,177,工業55,商業63,交通業9,公務・自由業64,その他115,無職業26。同14年電気定時灯戸数は中村全村で380戸。昭和2年の世帯数420・人口2,538,同5年416・2,562,同9年427・2,657,同年12月出稼浜雑夫は北海道へ5人・樺太へ10人(西北大鑑)。昭和10年の村歳出予算2万3,819円,4校の小学校があり教員10人,生徒数501人,青年団員767人,処女会78人(同前)。同15年の世帯数460・人口2,892。村内を南北に岩木山南西麓を水源とする中村川が貫流,これを利用した発電は大正3年,鰺ケ沢町工藤善右衛門らにより出願・許可され,東京明電社により芦萢電母板に発電所を資金5万円で計画,90馬力,落差30尺,55kwで,鰺ケ沢,舞戸,赤石の一部,中村を供給域として発足した。この電灯会社は大正8年に鰺ケ沢町営,大正15年に西海電気,昭和9年に県営に移行,最終的に東北電力に引き継がれた。同27年中村滝淵発電所完成,落差120m,隧道4,752m,傾斜121分の1,最大出力5,000kw,常時1,600kw(西津軽郡史)。昭和14年岩木村松代を編入,合計5大字を編成。同30年鰺ケ沢町の一部となり,村制時の5大字は同町の町名となる。
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