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戸部郷(中世)[神奈川県]
角川日本地名大辞典(旧地名編)

 戦国期に見える郷名。武蔵国久良岐【くらき】郡のうち。富部郷とも書いた。天文12年2月3日の北条家朱印状(上原文書/県史資3下‐6771)に「武州戸部郷陣夫之事」とあるのが初見で,陣夫役1疋分(馬1疋に人1人)に相当する夫銭8貫文の徴収を「戸部郷百姓同代官」に命じている。天文17年5月7日には,当郷内70貫文の地が北条氏康から上原出羽守に充行われている(武文/県史資3下‐6855)。これは氏康が前年,太田資正のこもる岩槻城を攻めた時,資正の部将であった上原出羽守が氏康に味方した功によるものであるが,天文17年8月10日には,前年の当郷年貢のうち,中村平四郎の給分20貫文のうち5貫文が未進となっており,早々に相渡すべき旨が氏康から出羽守に命じられている(上原文書/同前6858)。上原氏は天文17年以前から当地に対して伝統的な関係を有していたとも考えられている(横浜市史1)。また永禄12年7月7日の北条家朱印状写(武文/県史資3下‐7834)によると,小田原北条氏は「戸部大経寺百姓中」から塀普請の人夫役等を徴収しており,さらに同年10月26日の北条家朱印状写(同前7877)では,当郷の年貢徴収の督促が行われている。これは小田原北条氏と武田晴信との間で戦われた三増合戦ののち,当郷に在住していたらしい上原甚次郎の戦費の補助のためで,11月3日までに郷中に残った分の年貢について,書上を小田原城中に提出するよう命じたものであった。さらに元亀2年3月7日には,当郷の小代官および名主に対して,小田原北条氏の奉行安藤豊前守が,当郷の人改めを命じているが(同前8028),これも元亀元年12月から再び開始された武田晴信の相模攻めに備え,兵力の補強のために在郷の武士や有力百姓の組み入れを図ったものと考えられる。また天正8年11月19日,北条氏照は「富部郷船方中」に,なまこ200杯・鯛50枚・蛸30盃を下総国栗橋に届けるよう命じている(同前8853)。なお「役帳」には,「久良岐郡 富部大鏡寺分」「久良岐郡 富部臨江寺分」などとあり,小田原北条氏江戸衆の上原出羽守の所領役高として67貫780文,同じくもと武蔵滝山城主大石定久の所領でのち北条氏照に受けつがれた油井領の所領役高として72貫423文が見える。なお上原氏分に見える大鏡寺については,「新編武蔵」に大鏡寺旧跡の記事があり,都筑【つづき】郡市尾村朝光寺の伝に天文12年に上原勘解由左衛門という者が久良岐郡戸部村に1寺を建立したとしている。