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(近世)江戸期の甲州街道の宿場名。山梨郡のうち。下栗原村地内に宿場を形成。「国志」では下栗原宿と記す。「甲州道中宿村大概帳」によれば,宿高は627石余で,ほかに山梨郡歌田村(高560石余)・八代(やつしろ)郡小城村(高407石余)が加宿となっている。地子免許はなく,当宿・加宿村ともに六尺給米・御蔵米入用は免除されていた。江戸への里程は32里22町余,近隣の宿場へは勝沼宿へ31町36間,石和(いさわ)宿へ1里20町30間,宿往還は上栗原村境から一町田中村境まで12町12間半,宿内の町並みは東西南北へ6町ほど,天保14年の宿内人別は加宿ともに1,057(男538・女519),宿内家数は加宿ともに240。本陣は宿の中ほどに1軒あり,建坪52坪,脇本陣も同じく宿の中ほどに1軒あり,建坪は48坪で,ともに門構はないが玄関付きであった。同年の旅籠屋は20軒あり,その規模別内訳は大8軒・中5軒・小7軒。宿建人馬は25人・25疋,うち5人・5疋は囲人馬,人馬継立問屋場は宿の中ほどに1か所あり,問屋1人・年寄4人・馬指1人がいた。正徳元年に定められた駄賃・人足賃は,勝沼宿まで荷物1駄40文・乗掛荷人共40文・軽尻馬1疋26文・人足1人19文,石和宿まで荷物1駄62文・乗掛荷人共62文・軽尻馬1疋42文・人足1人31文。なお,天保9年には,同10年から10年間はこの駄賃・人足賃の1割5分増しとすることが決められた。宿内の木賃銭は主人1人35文・召仕1人17文・馬1疋35文。高札場は宿の中ほどに1か所あり,郷蔵も1か所あって囲籾が行われていた。当宿から石和宿までの間の往還通りには山梨郡一町田中村,八代郡川中嶋村・八田村があり,一町田中村の往還通りの長さ4町38間,うち家居は少しでほかは田畑,川中嶋村の往還通りの長さ11町8間,うち家居は5町余でほかは野間,八田村の往還通りの長さ4町41間,うち家居は1町余でほかは野間。当宿の両側は家並みが続くが,ほかは野間で,耕地は田がちであった。用水は日川から引き取り,その流末は隣の小川に落とした。飲み水は堀井と川水を利用。農業は五穀のほかにその時々の野菜を作り,農間に男は秣・薪取り,女は養蚕と木綿織りを行った。旅籠屋のほかに食物を商う茶店もあり,その他の諸商人もおり,毎月4・9の日には市がたった。米の津出が行われ,石和河岸へ1里半余,同河岸から江戸へは川路・海上を111里ほどの里程であった。
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