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「慶安郷帳」によれば,村数43,寺社領15,高2万5,522石余,うち田1万5,430石余・畑1万91石余・新田294石余,「元禄郷帳」では,村数45,高3万2,149石余に増大,「天保郷帳」では,村数46,高3万3,097石とやや停滞的傾向を見せながらも増大を続けている。天正18年,上野国館林藩領が生まれたが,慶長年間には幕府領・旗本領に分割された。寛永年間に古河藩土井利勝の領地となり,ついでそれが子の利長・利房に分知された。残りは幕府領・旗本領であったが,寛文元年徳川綱吉が10万石で館林に入部するに及んで再び館林藩領が生まれた。寛文年間には,土井利房領14か村・7,244石余,土井利直領6か村・2,875石余のほか,館林藩領9か村・3,947石余があり,比較的藩領の比重が高い。綱吉の子徳松の没後,館林藩は廃藩となり,幕府領・旗本領に分割された。その後,この地域の領知はめまぐるしい変動を繰り返し,宝永2年戸田忠利が1万1,000石で足利に入封し,足利藩が成立した。古くから,農間渡世として絹織物が行われていたが,近世中期に上野国桐生から高機の技術が伝播し,綿織物も盛んになって,有数の機業地帯となった。「旧高旧領」によると,維新期の高は3万2,950石余,村数46,うち相給村28(60.9%),領知高の割合は,旗本領66.7%・大名領27.2%・幕府領4.8%・寺社領1.3%で,分散錯綜した支配の傾向が顕著になっている。明治4年栃木県に所属。
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